200781

高知一般労働組合

書記長 山崎圭司

最低賃金体験報告と最低賃金改善の必要性について

 私は、昨年から高知一般労働組合の書記長をしている山崎といいます。

 高知一般は高知県地域で主に中小零細企業で働く労働者を中心に組織されています。

 今、貧困と貧富の格差が大きな話題となり、国会で最低賃金法の改正が出され継続審議となりました。この貧困と格差の問題の中で隠れたホームレスネットカフェ難民や働いても貧困から抜け出せないワーキングプアなどの10年前では考えられない問題が出てきています。

 高知県労連では、昨年度に引き続き最賃体験を行いました。2月の1ヶ月28日行いました。

 今年は、16名が参加し、昨年、3名だったブログ参加者も今年は7名参加し行いました。

 法定労働時間最賃額で働いて手取り約90,000円の生活ですが、全ての参加者がこの額を超えてしましました。

 オーバー額が、少ない人5000円でした。しかし、オーバー額が少なかったといっても、この生活期間の中では外食、娯楽などを一切せずにしても超えてしまいます。1ヶ月という短期間のため、日常に使用する生活雑貨(服・靴、洗剤等)は当然入ってきていません、ですから実際に年間を通し最賃体験を行うと結果はより悲惨なものとなるでしょう。

 実際に、私の今の家賃が、15千円で風呂トイレ共同の4畳半築30年なので、辛うじてやってゆけます。こんな家賃にすんでいても、食事さえ我慢しなければならない生活になっています。今年、31歳ですが、今も現状は、ほとんど変化していません。

 特に最賃体験中は、日常生活のありとあらゆるものまで我慢し、食事さえ我慢する状態になっていました。食事が1日一回の日なんて多くあり、一食の単価を下げるためカレーを作り毎日がカレーだった日もあります。また、休日は、極力お金を使わないようにするため、家の中でじっとしていることが多くなっています。こんな生活に、果たして、文化性があるのでしょうか?人間性があるのでしょうか?

この賃金状態が、いつになったら終わるのか、自分にはもう見当がつきません、自分だけでなく、多くの仲間がもう数年来こんな生活を行い先の見えない恐怖に日々痛みつけられています。実際に、自分の隣に住んでいた大学も一緒だった若者は、生活や将来に期待ができず県外の実家に帰ってしましました。

食事すら、満足にできない賃金こんな生活がありえるのでしょうか?この生活の実態が決して特別なことでなく、高知県で現実に起こっていることを知ってもらいたいと思います。最低賃金では、確かに死んだりしません。本当に死なないだけの賃金なんです。しかし、ちょっと人並みの生きようと思ったとき、2つ、3つと仕事を求め働きます。その中で過労から精神的な病気も含め働けなくなり本当に死にます。

最近、私たちが相談を受けた労働者の多くがアルバイトやパート・派遣などの不安定雇用(非正規)労働者ですが、月額賃金20万円を越えている労働者はわずかです。多くは、地域最低賃金ぎりぎりの時給600円台で、食べて寝るという最低限の生活さえ困難なため、長時間の時間外労働を強いられています。

ある中堅量販店エースワンの例では、時給930円という契約の中に時間外手当・深夜労働手当てが含まれており、実際の時給は620円というペテン的手法がまかり通っており、低額の最低賃金をテコに長時間労働がはんば強制されています。

 また、幡多けんみん病院のビル清掃業務労働者の例では、委託契約の入札額が競争入札で際限のない引き下げ競争にさらされ、委託先の労働者の賃金は、見積り労働単価(県臨時職員の賃金時間単価856円)から大幅にひき下げられ、地域最賃すれすれの630円にまで切り下げられています。そして今も続いてます。

 これらの、事例では最低賃金は本来の目的「労働条件の改善を図り、もって、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与する」を失い、最低賃金さえ超えれば何の違法性は無いとし、まさに人間らしく生活できない最低賃金が低賃金の根拠と温床になっています。

 私たちの組合員の中にも、賃金が最賃並みになり生活難からダブルワークするものもいたり、時給700円のラーメン屋で働いているが必要なときだけ不定期に働かされ、労働時間感覚に対して、月給が約12万しかありません。

 私たちは、最低賃金を決る際に、考えていただきたいのが「どんな人でも生活でき遊べ、結婚でき、子供を育てられ、安心して老後まで計画できる」賃金を決めてください。最低賃金委員の方々は、人間の営みの価値を考え意見する重要な任務と責任を持っています。ぜひ私たちの当たり前の要求を実現していただきたいと思います。

 最後に、最賃生活者の訴えをつけておきます。

以上

   

 

   最低賃金の引き上げを求める  ―― 自らの生活体験から ――

                    高知一般労働組合ビルメン支部  田元 美紀

 私は高知総合リハビリテーション病院で清掃労働者として7年半働いています。しかし、非正規なので、時間額は700円と安く、また何年勤めても昇給しませんし、賞与や退職手当も支給されません。

 時間額が安い上に勤務時間も正規に比べて短いので、得られる収入は月8万円前後、多い時でも9万円に達しません。こんなに低賃金であれば、最低限の生活もできませんし、精神的なゆとりも持てません。

 第一に、貯金をすることができません。私は妹と2人でアパートを借りて暮らしています。毎月1回、妹に生活費を22,000円払っていますし、やっとの思いで郵便局に1万円前後、時には2万円前後貯金をしています。残りの4,5万円のほとんどは食費や小遣いに消えてしまいます。その時には、せっかくの貯金も仕方なく引き出さなければなりません。一時的に出費が増えることもしばしばです。妹と2人暮らしであっても余裕のない生活を送っているのですから、増してや将来妹が結婚などのため私と離れて生活するようになったら、私は独りで生活することもできません。姉なのにどうして妹に頼らなければならないのでしょうか。私は自分の低賃金のために家族に迷惑をかけたくありません。

 貯金をすることができなければ、万一大金を必要とする時がきた場合、大変困ります。本人や家族が病気になって治療を受けなければいけない場合にも、医療費を出せないがために、治療を受けることができません。働いているのに独りで生活できない、家族を養えない、万一に備えての貯金ができない、このようなことがあっていいのでしょうか。

 収入にはならないけれど、私は勤務時間外にボランティア活動、講演会、学習会に積極的に参加しています。自分の得意を生かして社会のために捧げ、生涯学習をするのが好きです。そのような勤務時間外のさまざまな活動の際に、仲間とお店に食事に行ったりしますが、私は低賃金であるが故に同行者(仲間)に食事代、飲み代を払わせる場合がほとんどです。そうしないと私は生活していけないから、同行者が私を気遣って下さるのです。そういうお付き合いの費用の負担は割り勘が無難なのに、どうして相手にばかり重い負担を強いなければならないのだろうか、相手に申しわけない、と思っています。

 買い物をしたり、あるいはチラシを見たりしていて欲しいものが見つかっても、仕方なく諦めることが少なくありません。新しい服を買いたい、本やCD、その他の生活用品が欲しいと思っても、手が出ず、ただ見ているだけということがしばしばです。おしゃれをしたい、教養を身につけたい、趣味を楽しみたい、息抜きをしたい。だが低賃金だとそれもできず、精神的な余裕も持てません。

 きつい労働の割に独立できるような収入が入らないと、「自分は何のために働いているのだろうか」と思います。低賃金のために意欲を失った、あるいは失いかけている労働者は多いのです。

 どうか、最低賃金の引き上げ、違反した場合の罰則の制定を実現させて下さい。